365の話。

生きていれば、壁にぶち当たったり、心が折れたりすることは何度もあって、

その度に、「自分はダメだ」という感情が出てくるもの。その感情ポイントが

一定のところまで貯まると「なんで俺は俺なのか期間」に突入する。要は鬱期である。

期間中は、なんで俺の性格はこうなんだろう、というところから始まり、

なんで俺の声はこんな声なんだろうとか、なんで背丈はこのくらいで、

なんで目はこんな目で、なんで歯並びはこうで、と続いていき、なんで

思考力はこの程度で、なんで話し方はこんなで、なんで持っている価値観は

こんなんなんだと自分自身のアイデンティティに対してまで嫌気がさしてくる。

自己肯定感から離れてしまう状態なので精神衛生的にも大変よろしくない。

こういう状態は大体時間が解決してくれるのだが、これだけいろいろ

悩み終わった後は、様々な苦悩やストレスに耐えた自分に誇りが出てくる。

こんだけいろいろ考えている人はほかにいないんじゃないかとさえ思えてくる。

だが、そんなことはないのだ。年を重ねると、だんだんわかってくることだが、

一人一人に生き抜いてきた人生があって、生きる中でみんなものすごく考えている。

それを知らせてくれたきっかけが下の動画である。今はもうほとんど更新は

されなくなってしまったけど、365の話。というチャンネルの中の1本の動画。


インターネットのおかげで「一人じゃないと」と知れた反面、「一人だけじゃない」と知ってしまった。

これを聞いた時は、まさに自分が感じていたことが言語化されていて

ハッとなった。頭の中のもやもやはこれだ、と感動したことを覚えている。

ちなみに、このチャンネルでは30代の独身会社員が日常で思うことについて

一人語りした音声を、顔出しせず、(おそらく)編集もあまりせずにYouTube

アップしている。その音声に生身の人間の話を聞いているようなリアルさがあり、

もはや、人との交流は実際に会わなくても実現するのだろうと思った。

 

動画の内容に戻るが、悩んだ経験に自尊心を持つのは結局、自分の人生はそこそこ

価値があるものだと思いたいという裏心理があるのだろうと思う。

その心理によって、さらに周りにいる自分より下だと思う人と比較し始め、

自分はそこそこイケてるんじゃねと思い込むことで安心し、

「自分は中の上なんだ」という心の安全地帯を確立しようとする。

あまり性格がいいものではないし、それが癖になってしまうのが怖い。

そんな刹那的な安らぎを得るために、消費的な行為をしてしまうのは、

まるでハムスターが回し車を回し続けているのと本質は同じである。

風俗にはまる非モテサラリーマンと同じではないかという気さえしてくる。

本人は満たされているが、客観的に見たら何も変わっていない。

何も変わっていないから、気づけば、老い、衰え、時代に取り残されていく。

そうならないためにも、まずは他人との比較をやめようと思い、

どうしたらいいかを考えて行きついたのは、人への「敬意」を持つことである。

とても基本なことだし、昔から大人たちがよく言っていた言葉だと思うけど、

今こうやって自分の実体験を経てその言葉が本当の意味で頭に入ってくる。

(大人たちが言っていた「大人になれば分かるよ」というのはこういうことか)

「敬意」を持つためにどうするかというと、自分のものさしで人を測らないこと。

自分のものさしで人を見ないから、比較が生まれないし、ランク付けも始まらない。

何億本のものさしを持って周りを見渡せば、みんな凄いやつ

に見えてくるし、自分もすごいやつに見えてくる。そうすると周りの

人たちは「比較対象」ではなく「学び対象」になって見えるようになると思う。