ラーメン屋の女の子

その日は後輩と六本木の展示会に行った帰りだった。

現代アートをじっくり堪能し、日も暮れたのでそろそろ

夕飯でも食べようかということになり、近くのラーメン屋さんに入った。

家系っぽいんだけど、落ち着いた雰囲気もあるラーメン屋さんで、

内装はシックな黒、ラーメン屋さんにしてはお洒落なお店だった。

お腹が減っていたので、入口近くのカウンターに座り、

手短に注文を済ませ、ラーメンを待っていると、

その5分後くらいに20歳前後の女の子が一人で入ってきた。

どうも左手に麻痺というか障害があるようで、体を思うように

使えていないような感じが、目を引いた。

家で読書することを趣味としてそうな見た目の子で、

すこしおどおどしながら近くのカウンターに腰を下ろした。

喋ったわけではないけど、ここまでの挙動で人とのコミュニケーション

があまり得意ではないタイプなんだとなんとなく分かる。

一人でラーメン屋に来るような風貌でもなかったので、

へえ、こんな子もラーメン屋に一人で入ってくるんだ、

と思ったのを覚えている。

女の子は少し悩んだ後その店の定番のラーメンを注文した。

数分後、「お待たせしました!」と定番ラーメンが出された。

ところが、ラーメンを受け取ろうとした女の子の手が一瞬止まった。

ラーメンの中に入っているゆで卵を指さしながら、

「あ、、す、すみません、卵アレルギーなので、、卵、とってもらってもいいですか」

と言った。やっぱり普段人と話す機会がないのだろうかと思わされる

か細い声でしどろもどな話し方で卵が食べられないことを店員さんに伝えていた。

店員さんはほんの少し困惑した表情で

「あ、ええと、はい、分かりました」と言って、厨房に引き返す。

女の子はその困惑した表情を見逃さず、申し訳なさそうな顔をして

視線は落とさずゆっくり会釈をするように「すみません、、」と言っていた。

少しその二人の空間に気まずい空気が流れるのを感じた。

それがカウンター席3つ程離れているこちらにも伝わってきた。

その後、卵なしのラーメンを出されて、女の子はまた申し訳なさそうに、

「ありがとうございます、、」と言って受け取った。

女の子は美味しそうに、だけど少し気まずそうに麺をすすっていた。

美味しく食べられただろうか。目当てのラーメンを食べられただろうか。

この子にとって今日はどんな人生で、どんないきさつでこのラーメン屋さん

に足を運ぶことになったのか。想像を巡らせてしまう。

人は誰しも何かを抱えながら人間社会で生活している。

様々な理由でスムーズにいかないことはたくさんあって

そこに戸惑いと面倒くささを抱えながら生き続けている。それをふと感じた。

「不器用ながらも人生を生き抜く姿」に感動する性格を持つ身としては

人間同士のこういった些細な間の悪いやりとりにぐっと来てしまう。

何かしらの障害を持って生まれマイノリティにいるがために不便を感じている人が

「それでも生きているという姿」に身勝手ながら哀れみを感じた。

そして、こんな人も生きているんだ、と世界が広がった気になる。

なんだか自分が嫌な人になったような気がするけど、これまで自分視点の世界

しかもっていなかったことに、ハッとさせられたことは間違いなかった。

その女の子にだってその日初めて出逢っている。その日までどこかで生きていた

はずなのに、その日まで存在すら知らなかった。これから再会することは一生

ないだろうけどその子は寿命まではこの世界のどこかで生きていく。そして、

その子が死ぬまでに、うまくいくこと、うまくいかないこと、いろんなことが

いくつも起こるだろう。全てを知ることなんかはできないけど、その子の人生を

想像すると、なぜだか、また生きるの頑張ろうと思えた。

 

この世界にはこの女の子と同じように

自分の人生を生き抜いている人たちが沢山いる。

数えきれないほどの人たちの人生が今同時に存在しているけど、

自分が意識するまでその存在は知らない。

今、地球に存在する人間の数は70億人くらいだと思うけど

人類が生まれてきてから今まで生きた人間は1000億人程いるそう。

それを思うと、人類すべての存在を意識することはできないけど、

目の前に生きている人間は1000億分の1の存在であって、

1000億分の1の存在である自分が勇気をもらって、

それによって行動したらまた1000億分の1の存在の誰かに影響を

与えるかもしれない。この世界はその広さを意識するだけで広くなる。

何にせよ、強く生きないとなと思った一日だった。

貞廣社長

マネーの虎で印象的な一幕があった。

 

貞廣社長「自分の目的を達成するために、考えて、それを行動に移していますか?」

志願者「はい」

貞廣社長「じゃあ成功するんじゃないですか?」

 

自分の頭で考えたことをちゃんと行動に移し、行動し続けていればいつかは成功するんですよと、いう言葉だった。シンプルだった。

社長にもなっている人は元から持っている何かが違うんだと思いがちだけど、違うのは考え方と行動力みたいだ。これは後天的に変えられるところ。

365の話。

生きていれば、壁にぶち当たったり、心が折れたりすることは何度もあって、

その度に、「自分はダメだ」という感情が出てくるもの。その感情ポイントが

一定のところまで貯まると「なんで俺は俺なのか期間」に突入する。要は鬱期である。

期間中は、なんで俺の性格はこうなんだろう、というところから始まり、

なんで俺の声はこんな声なんだろうとか、なんで背丈はこのくらいで、

なんで目はこんな目で、なんで歯並びはこうで、と続いていき、なんで

思考力はこの程度で、なんで話し方はこんなで、なんで持っている価値観は

こんなんなんだと自分自身のアイデンティティに対してまで嫌気がさしてくる。

自己肯定感から離れてしまう状態なので精神衛生的にも大変よろしくない。

こういう状態は大体時間が解決してくれるのだが、これだけいろいろ

悩み終わった後は、様々な苦悩やストレスに耐えた自分に誇りが出てくる。

こんだけいろいろ考えている人はほかにいないんじゃないかとさえ思えてくる。

だが、そんなことはないのだ。年を重ねると、だんだんわかってくることだが、

一人一人に生き抜いてきた人生があって、生きる中でみんなものすごく考えている。

それを知らせてくれたきっかけが下の動画である。今はもうほとんど更新は

されなくなってしまったけど、365の話。というチャンネルの中の1本の動画。


インターネットのおかげで「一人じゃないと」と知れた反面、「一人だけじゃない」と知ってしまった。

これを聞いた時は、まさに自分が感じていたことが言語化されていて

ハッとなった。頭の中のもやもやはこれだ、と感動したことを覚えている。

ちなみに、このチャンネルでは30代の独身会社員が日常で思うことについて

一人語りした音声を、顔出しせず、(おそらく)編集もあまりせずにYouTube

アップしている。その音声に生身の人間の話を聞いているようなリアルさがあり、

もはや、人との交流は実際に会わなくても実現するのだろうと思った。

 

動画の内容に戻るが、悩んだ経験に自尊心を持つのは結局、自分の人生はそこそこ

価値があるものだと思いたいという裏心理があるのだろうと思う。

その心理によって、さらに周りにいる自分より下だと思う人と比較し始め、

自分はそこそこイケてるんじゃねと思い込むことで安心し、

「自分は中の上なんだ」という心の安全地帯を確立しようとする。

あまり性格がいいものではないし、それが癖になってしまうのが怖い。

そんな刹那的な安らぎを得るために、消費的な行為をしてしまうのは、

まるでハムスターが回し車を回し続けているのと本質は同じである。

風俗にはまる非モテサラリーマンと同じではないかという気さえしてくる。

本人は満たされているが、客観的に見たら何も変わっていない。

何も変わっていないから、気づけば、老い、衰え、時代に取り残されていく。

そうならないためにも、まずは他人との比較をやめようと思い、

どうしたらいいかを考えて行きついたのは、人への「敬意」を持つことである。

とても基本なことだし、昔から大人たちがよく言っていた言葉だと思うけど、

今こうやって自分の実体験を経てその言葉が本当の意味で頭に入ってくる。

(大人たちが言っていた「大人になれば分かるよ」というのはこういうことか)

「敬意」を持つためにどうするかというと、自分のものさしで人を測らないこと。

自分のものさしで人を見ないから、比較が生まれないし、ランク付けも始まらない。

何億本のものさしを持って周りを見渡せば、みんな凄いやつ

に見えてくるし、自分もすごいやつに見えてくる。そうすると周りの

人たちは「比較対象」ではなく「学び対象」になって見えるようになると思う。